運命の人とは

私は、毎日、運命の人を探していた。

 

 

私は変わりもんだ。と思う。

それは

毎日運命の人を探すために顔をあげて歩いているから。

目があったら、「お!?運命?」と思ってしまうほどだ。

なんでこんなに運命の相手を欲しているのか。

 

それは、運命の人こそが「自分を大切にしてくれる」と思ってるからだ。。

 

今まで、私は面白いくらい男運がない。

 

中学から男女併学の学校だった。

共学ではなく併学だ。

男女で校舎が分かれている、一緒に作業するのは

体育祭や学園祭のみだ、

要するにバレンタインなどの戯れごとは

見たくもないのに校舎と校舎の間で起きるのだ。

 

恋なんて恋なんて、私には関係ないって、思い続けていた。

 

でも、ある日すれ違った先輩。

実は友達の好きな人らしい。

それを聞いたとたん、なんだか、他の人のものとか、、、、

あーなんだか、奪ってしまいたくなってしまった。

そんな最低な人間だ、私は。

結局、その先輩は一度に8人くらいの女性と関係を持っていたみたいだが。

 

 

その次は電車でよく見る先輩だ。

よく見るから運命だと思った。

よく言うやん。運命は接触の数やって。

でもその人も、運命ちゃうかった。

全然振り向いてくれんかった。

 

 

それから大学に入って、また恋をした。

新歓で出会った男の子、サークル同じの男の子。

 

 

 

すべての出会いを運命だと感じる私は幸せなのかもしれない。

 

でも運命だと思うから、そうじゃないって気づいた時の喪失感は半端ない。

そんなこんなで  就活生になった。

 

就活って出会いの宝庫。。

誰が運命か何もわからずに、知り合う人と関係を持っていく就活生活。

 

 

自暴自棄になった。。本当に自分が何してるのかわからなくなった。

 

運命ってなんだろう、自分を大切にするってなんなんだろ。

好きってなんだろう。

 

男性不信になった。世の中の男はみんなちゃらんぽらんで

彼女がいるのに他の人と関係を持つ、

 

付き合ってないし好きじゃないのにそういうの平気、

 

みんなして、相手も自分も大切にしようとしていない。

 

 

もう苦しくなった。

 

 

そんな時に、ある人と出会った。

しょうらいのはなし

そう、将来の話ね。

何をしたいのか。


私は今までもそうだったように、

やりたいって思ったことをとことんやりたい。

ハマりたいって思ったものにとことんハマってやりたい。

そこに何が必要か。

それは単なる好奇心や興味。

最初はなんとなくでいい。

それを話を聞きはまり込むに連れて

しっかりどハマりしたらいいと思う。

要するにわたしの軸は

・やりたいこと、興味のあることに素直になる

・考えるより行動して情報を集める

・人の話題になるものを発信する

・人の感情に訴え、その生き方に影響を与えるものを発信する


以上がわたしの軸である。

高校生ね

高校一年生


なんとか同じコースで進学。

恋やらなんやら楽しかった時期。

ダンスも歌もクラス上がらないという負の連鎖に陥ってた。でも変わらず何があかんのかどう評価されると良いのか、研究。

歌はクラス上がった。でも目指す人も上もいなくなった、からやめた。

それと同時に父とモデルの勉強で撮影させてもらったり楽しかった。


コーラスコンクールも相変わらず好きやったなぁ。


でもこの時期ちょうど勉強にハマってきて勉強を良くするようになった。大学受験も視野に入れてたなあ。

友達もこの頃は順調。

続いて中学生。

はい。

中学生になりました。

初めて親といない時間がこんなにも多くなったことに対して

開放感がやばかった。

やりたいことできるんや、やりたいことしたい。

って思うようになった。

やから色んな部活の仮入部をした。

自分の可能性って他にもあるはずって思ったから。

バレー部、体操部、弦楽部、ダンス部、茶道部

特に忙しい部活に入りたかった。

それはもうバレエと塾の両立をしていた頃みたいに移動でバタバタしたくなかったから。時間に追われるのが嫌だった。

もうこの時間だから行かないととかいうのが嫌だった、バレエの友達と一緒にいたいのに私だけ塾。そういうのが多かったから。

1番はバレー部に入りたかった。でも、バレエとの両立ができなさそうで母に反対された。

結局、友達に引っ張られて弦楽部に入った。

ビオラというバイオリンよりちょっと音が低いが、

いい音がする楽器を選んだ。家で練習をするために楽譜と楽器を持ち帰ったり、部活に行かない分本当にみんなに追いつこうと必死。

でも、やっぱりバレエが忙しくてあまり部活に行く時間がなかった。ほんとにしんどかった。部活にも行きたくなくなった。行かなくなった。いつも来ないのにたまに来る人嫌やなと思ったから。

でも、5月に足を怪我して、バレエを休んだ。それがきっかけでバレエをやめることができた。やっとやめれた。本当にスッキリした。自分が自由だと思ったら、最高に気持ちが軽くなった。

日常生活では、初めて友達と遠征して遊んだり、喋ったりできて、うれしかった。でも、嬉しいのも束の間、結構友達と引き離されていじめられはじめた。

何がダメやったのかわからんけど、、

多分相手のこと考えて行動してなかったからかな。、

自分勝手やったからかな。

勉強は1年生のときは頑張っていた。

特進から英数に上がりたくて必死でみんなに追い越されないように頑張ったが、英語でつまずいてあとは芋づる式で何もうまく行かなくなった。

1つダメになると他もダメになりやすい性質。

1年生で初めて仲間と協力して必死になった経験ができた。

それはコーラスコンクール。

みんなで揃えることに命をかけて、団結して、最高に苦しかったけど楽しかった思い出。選曲も審査も何もかも初めてでわからないことだらけだったが、なんとか、なんとか、まとめようとしてくれてる子についていって

みんなで心を1つにするっていう熱い気持ちを実感できた。



2年生になりました。

2年生になって、はい、バレエやめたのでブクブク太りました笑笑

痩せたいしなんか没頭したいから、弦楽部に再入部したけど、友達とあまり仲良くなれずやめました。。

結局、EXPG大阪校に通いました。

最初はダンスと歌を始めました。元々そういう系に興味があってやってみたかったし、没頭するものを見つけたかったから。

それとプラスで演技も始めた。プラスαで他の人と違うことが出来たらプラスになるから。

最初は本当に無我夢中でした。ダンスも全然出来なかった。でもできるようになってクラス上がりたかったから、イントラさんにアドバイス求めに行って必死で毎日練習、授業中も脳内でイメトレをしてました。歌もカラオケに行ったことないくらいだったけど、そのとき沙耶と仲良くなり、こうなりたいと思ったからがんばって練習もした。このときはただ憧れる人が多かった。

同じステージに立ちたい、あそこで歌いたいという思いを叶えようと必死。

ボーカルライブの小さいチャンスでも取りに行った。すごい充実してた。


ただ、学校のことは全て疎かになっていて、遅刻も多いし、遅刻のせいで期末試験の数学受けれなかったりした事が有った。

本当アホやった。なんも勉強してなかった。笑笑

わらける。

ただコーラスコンクールは本気でやってた。笑笑


友達関係は一向に復活せずって感じ。


3年生になりました。

勉強してなさすぎて、進級できませんいわれた。

友達ともそれがきっかけで喧嘩して疎遠になった。でも、私のためにそんだけゆうてくれる友達のために私は頑張ってそのこと同じコースに行くんやと思ったから、必死に勉強を秋からがんばった。色々叱られたことも多かったけど常に自分の正しいと思うことをしていたに違いない。やりたくなかったらやらんから。


ダンスとか歌は沙耶と比べてくそつらかったときがあった、人と比べすぎた。そんで将来が心配すぎた。オーディションを受けまくって、今のうちに、まだギリギリ若いうちにチャンス掴みに行かないと思って、かじりついてた。


友達関係はちょっと安定。

でも今まであんまりいい思いしてなかったから結構相手の顔色を伺うようになった。



要するに私はライバルがおったらクソ没頭する。負けたくないし、同じ位置に行きたかったから。

あ、あと一緒にいて自分に有利になりそうな人と結構絡みに行ってた。無駄にしないように

あ、あと、歌の練習は、気をつけられたところは完璧にして行って、それの応用とか使えそうなところを他のとこらにも反映させて練習してた。いつもプラスαするように心がけしてた。練習は怠らない


私の人生について

大学3回生、つまり就活生です。

ここでちょっと自分の過去を振り返ろうと思います。

ノートにバァーって書いたけど、まとまらなかったので簡潔に。

<小学生>

人気者になりたくて、人気者のマネをしていた。

同じ筆記用具を買ったりした。

でもそれがきっかけでイジメられるようになった。

イジメられるというか、影でコソコソ言われるという陰気なやつ。

私はそれに気づいていたから、強気な態度をいつもとっていた。給食のお代わりじゃんけんはゆかり、牛乳、梅干しのシソ、など必ず参加。大好きな給食も周りが食べ終わるスピードに合わせて、お昼休みにはみんなで鬼ごっこや一輪車、常にはみられないように周りを気にして行動していた。

でも、本質的な自分の性格は変えようとはしなかった。

なぜなら、小学校の中で私は優越感を持っていたから。

それは、

やりたいことを親にやらせてもらってたから。

水泳、書道、塾、バレエ、エレクトーンという色々な習い事をさせてもらっていた。全てある程度はできた。

書道は全国の雑誌に載るほどだったし、

塾も上の方のクラスで勉強は嫌いな方ではなかった。

バレエも二歳からやっていて、普通では体験できないバレエ団やオペラの公演にも参加しコンクールにも出場した。

エレクトーンは練習が本当に嫌いだったが、泣きわめきながらでも練習した。

こんなことを経て、プライドが高くなったんだと思う。

他の人にはなくて自分しかしてない経験がたくさんあったし、それなりに大変だったから。

それを鼻にかけて、小学校では放課後誰とも遊ぶことはなかった。遊びたかったけど、今はダメだと制御していた。今遊んだら普通やと思われると。

そんなこんなで、中学受験をした。神女という憧れの学校を受けたが、落ち、滑り止めの奈良の学校に決まった。

この頃、目標の人はいなかった。ただ、与えられたものをする。できるようにする。っていう考え。

バレエに関してはずっと自分はできる方だと思っていたが、母にそんなんでうまいと思ってたんって、非難されたことから毎日リビングにリノリウムを履いて練習していた。

足の甲が出るように毎日柔軟をして、頑張った。

小学生の頃はプライドが高かった。

でも小学校高学年になるにかけて、人に合わせるっていうことを覚えた。嫌われたくないという理由からだが。

ただ、人に合わせるが自分は変わろうとしないという点が今後に響く。

今思い出したが、自分は人の面倒を見るのが上手い。

バレエでも小さい子のお世話はいつも率先してしていた。

母には自分のことをしろと怒られたが。笑笑